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- 4月29日(日)、日本政府は、平成24年春の外国人叙勲としてシャンムガム・ジャヤクマール元副首相に対して旭日大綬章を授与することを発表しました。
- ジャヤクマール氏への叙勲は、外務大臣在任中の平成11年(1999年)に我が国初のEPA(経済連携協定)である「日シンガポール新時代経済連携協定」の交渉立上げに貢献したのをはじめ、その締結に尽力し、また、外務大臣に就任した平成6年(1994年)に両国の官・民・学の定期ハイレベル政策対話である「日シンガポール・シンポジウム」の開催を指導するなど、両国間の経済関係の強化及び政治・経済・文化交流の促進に貢献し、さらには、我が国の対ASEAN外交を支持するなど、同氏が日シンガポール関係及び日ASEAN関係の発展に大きく寄与した功績によるものです。(功績詳細は別添のとおりです。)
- なお、最近のシンガポール人への叙勲の例としては、平成21年(2009年)11月にトミー・コー外務省無任所大使(国家遺産庁長官、政策研究所議長)に旭日重光章が、また、平成23年(2011年)6月にゴー・チョクトン名誉上級相(通貨監督庁上級顧問)に旭日大綬章が、それぞれ授与されています。
- なお、ジャヤクマール氏は5月8日(火)に皇居で行われる親授式に出席する予定です。
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- ジャヤクマール氏は、昭和38年(1963年)にシンガポール大学(現シンガポール国立大学)法学部を卒業し、翌年に母校法学部の講師となり、憲法及び国際法を主として教鞭を取った。シンガポールの最初期における法律家として、法分野における国造りに大きな役割を果たし、昭和46年(1971年)から昭和49年(1974年)まで国際連合シンガポール政府常駐代表(兼駐カナダ・シンガポール高等弁務官)、昭和49年(1974年)から昭和54年(1979年)まで国連海洋法会議のシンガポール政府代表団の委員を務める等、シンガポール政府の要職を早くから務めてきた。昭和49年(1974年)にはシンガポール大学の法学部長に就任。
- ジャヤクマール氏は、昭和55年(1980年)に国会議員に初当選し、以来7期連続、31年間に亘りシンガポール政界で活動をしてきた。翌年には法務兼内務担当国務大臣に就任し、その後、労働大臣、内務大臣兼法務大臣を歴任。平成6年(1994年)に外務大臣兼法務大臣に就任し、平成16年(2004年)までの10年間、シンガポール外交の責任者として、アジア経済危機、SARS危機等の問題に対応し、更に、我が国をはじめとする各国と積極的に経済連携協定を締結し、中継貿易ハブとしてのシンガポール国の経済的発展に貢献した。平成16年(2004年)からリー・シェンロン政権下で副首相に就任し、平成21年(2009年)には上級相に就任。
- ジャヤクマール氏は、平成23年(2011年)5月7日に行われたシンガポール総選挙を機に引退を表明し、同21日に行われた内閣改造により政界から引退した。
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ジャヤクマール氏は、外務大臣在任中の平成11年(1999年)の訪日時に我が国とシンガポール国との間で経済連携協定の締結を働きかけ、平成14年(2002年)に「日・シンガポール新時代経済連携協定」として締結された。同協定により、両国の貿易は著しく増加した他、日系企業の東南アジアにおけるビジネス展開を促進することになり、我が国の経済的利益の増進に大きく貢献した。
ジャヤクマール氏は、外務大臣に就任した平成6年(1994年)、我が国とシンガポール国の間での知的交流を促進する目的で「日本・シンガポール・シンポジウム」の定期開催に向け尽力し、同シンポジウムを通じた両国の有識者による東アジア及び東南アジアの長期的課題に対する意見交換とアジア地域に広がる重層的な知的ネットワークの構築に寄与した。
ジャヤクマール氏は、外務大臣、副首相、上級相の任期を通じ、我が国の対ASEAN外交を一貫して支持し、日・ASEAN協力の発展にASEANメンバー国の立場から支援を行い、我が国のプレゼンス向上に貢献した。
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