私のJETの旅  


掲載:2012年9月





あなたの旅に終わりはない。人生は信じられない方向へと移り変わっていくもの。(アレクサンダー・ヴォルコブ)


二年前、自分の人生がどう変化していくのか想像もつかない旅を始めました。私の使命は日本の山梨県で英語を教えることです。


自然のままの 山梨


日本の首都より西部に位置する山梨県は、手付かずの自然に恵まれています。代表的な富士山と富士五湖を始め、山梨県は山稜、山間、国立公園、花畑、果樹園、くつろげる温泉等に溢れています。山梨県の良好な気候は、果実生産に理想な条件であり、山梨県は「果物の王国」として名を馳せ、この地域の葡萄、桃、李の収穫量は全国一と言われています。葡萄畑はどこにでもあり、地元の葡萄を使った高級ワインを生産するワイナリーもあります。従って、ここでの生活は、自然の躍動と美しい四季の移り変わりとともに流れていきます。




学校生活の楽しみ


「今日、写真を見せたい(‘show you’)と思います。」
「しょうゆ(‘show you’)?」と戸惑った男の子は叫びました。


日本で教鞭を執る機会を得たことに、とても満足しています。私は山梨県の首都、甲府市の高校で日本人の教師と共に、元気な15歳から17歳の高校生に、英語のオーラル・コミュニケーションを教えています。学生はとても賢く、勤勉で、且つ礼儀正しいので、彼らを教えることは楽しく、彼らから教わることもたくさんあります。また、日常生活で英語をあまり使用しない環境で、英語を勉強する学生達の苦労がよく理解できます。少々生意気な学生がこう書いたのも不思議ではありません。


「今オーラル・コミュニケーションのクラスで何を習っていますか。」
「フランス語。」


言語と文化の違いから生まれる面白い誤解が、日々あるのは当然のことです。こういった誤解をユーモアとして受けとめられるようなったことは、JETとしての経験のハイライトの一つです。
私のJETとしてのもう一つの役目はシンガポールの文化親善大使であることです。シンガポールの風習や自身の体験を日本で紹介することは、慣れ親しんだ母国での生活に対するより深い理解と感謝の心が生まれることにもつながりました。


日本での生活


進歩した技術と社会に深く根付いた伝統を持つ日本は、とても素晴らしい国です。絵のように美しい四季、豊かな文化と歴史を持ち、多面的な社会、その全てが日本人の生き方に描かれる豊かな絵模様を作り上げています。一言で言うと、毎日何かが発見される冒険と同じで、多面的な日本社会からは、いつも新しい何かが発見されるのです。
外国人として、日本での生活に苦労がないとは言えません。日本に来た当初、中級レベルの日本語能力しか持っていなかった私は、言葉の壁に苦しみました。食べ物の注文、銀行のATMからお金を引き出すこと、製品のラベルを見るといった普段何気なく行ってきたことが、突然難しくなりました。郵便局との電話でのやり取りがうまくいった時の喜びとホッとした気持ちは、今でもよく覚えています。最近では、ピザのオーダーができるようになり、そのことを自慢しています。
異文化の環境で新しい生活を始めて、特に最初の数ヶ月間は寂しさからホームシックにかかりました。その寂しさを紛らわすため、友達や家族にずっと連絡をとり続けていました。有り難いことに、私は「サバイバル・ジャパニーズ」を徐々に身につけて、そこから自信を得て、日本での生活にも慣れてきました。
JETプログラムの経験の大半は、地元の方々との交流が占めています。地元の方々は予想以上に親切で、礼儀正しく、そして思いやりに溢れています。ある時、知的障害を持った若い学生二人が、電車に乗ろうとする高齢者のために扉を押さえてあげているのを目撃し、とても感動しました。また別の時には、車椅子に乗った女の人がバスを乗り降りするのを手伝ってあげるバスの運転手さんがいました。その際、その運転手さんは笑顔を絶やさず、そして他の常客にバスの運行に遅れが生じたことに対して常客に丁寧に謝られたのです。こういう思いやりのある行動を見た時、私は涙が出そうになるほど感動しました。言うまでもなく、JETプログラムであらゆる側面からお世話をしてくださった先生方も、思いやりに溢れていました。


日本での経験を全て言葉にすることはできません。
少なくとも今のところ、この短い滞在期間の中で、あらゆることを存分に楽しんでいます。また、この旅が私をこれからどこへ連れていってくれるのか、そして自身がどれだけ成長していくのかを考えて胸を躍らせています。


シーラ・チュアン