シンガポール見聞録
中富玄さんからの寄稿 
 
掲載:2010年8月


2010年3月16日〜3月25日の10日間、私はJENESYS派遣プログラムの一員としてシンガポールへ行かせていただきました。シンガポールでの経験は大きな衝撃と共に今後のモチベーションを与えてくれました。チャンギ国際空港に到着すると香水と香辛料が混ざったような独特な匂いが立ち込めていました。同じ便に搭乗していた「Team Singapore」と背中にかかれたユニフォームを着た集団に話しかけると、彼らは体操のシンガポール代表として日本で大会に出場していたと教えてくれました。コーチは中国出身で、シンガポールからオファーをもらってチームに参加しているとのことでした。このチームを見ただけでも中国系からインド系まで様々な人種により構成されており、中国系同士では中国語を、他人種とは英語をと適宜使い分けていました。空港には中国系やインド系、マレー系のみならず頭からスカーフをかぶっているアラブ系のイスラム教徒も多く、多人種が入り混じっているこの状況に困惑してしまったのが第一印象です。私達シンガポール派遣団はオーチャード通りにあるホテルに宿泊しました。オーチャード通りはシンガポールの中心にして最大の繁華街だと聞いていましたが、高級ブランドやデパート等の巨大なビルが立ち並ぶ街並みはまさに日本の銀座を思わせます。気軽に立ち寄れる小さなコーヒーショップやバー等はしばらく歩いていかないと見つかりません。街行く人々はやはり中国系が圧倒的に多く、中国語が飛び交います。しかし街の広告は英語表記で、店員の対応などは英語です。後に知ることですが、大半のシンガポール人はアクセントの強いシングリッシュと欧米基準の英語の両方を使い分けることが出来るそうです。


在中はほとんどバスに乗せていただき、施設から施設へと移動してプログラムに参加しました。バスから見た街並みはまさにニューヨーク・マンハッタンの高層ビル群とセントラルパークが融合したような夢のような大都会でした。ガラス張りの商業施設が緑あふれる開放的な街に立ち並びます。私達はこのようなシンガポールの開発を計画する都市開発庁を訪ねました。都市の開発は首相からのトップダウンで急速に行われています。ビルの1つや2つ程度ではなく、ある地域一帯に何十ものビル群を建設するという具体的な計画が既に実行されているそうです。 20~21日NUS(シンガポール国立大学)へ赴いて学生と両国の教育制度について話し合い、ウビン島というリゾート地に一泊してカヤックなどの交流を楽しみました。彼らによるとシンガポールの学生は小学校から英語の授業を受けており、大学入学のためにはイギリスと同じGCEという試験を受けるそうです。後に知ることですが、シンガポールはかつてイギリス東インド会社の勢力下に入っており、その後19世紀にシンガポールの植民地行政官となったスタムフォード・ラッフルズがこの島国の開発に生涯を捧げました。「建国の父」である彼の功績を称えて、街には彼の銅像やラッフルズプレイスという名の駅があります。そのようなイギリス支配下の影響の名残が教育分野においてもあるのではないかと考えられます。


短い滞在期間ではありましたが、今回私は大きなお土産を持って帰ることができました。それは、シンガポール人の学生や官僚、JETROシンガポールオフィス所長の寺澤様にお会いして「日本はもはやアジアのNO.1ではない」という紛れもない現実を目の当たりにして受けた、大きなショックです。経済大国日本は欧米に立ち向かおうという時代は終わりました。我々日本人はシンガポールを始めとするアジア諸国のパワー・積極性から学ぶべきだと私は思います。具体的には我々の世代が積極的に海外へと出て行くことでグローバルスタンダードからの遅れを自覚し、日本の閉鎖的・消極的・悲観的な側面を克服していくことが最初のステップではないかと思います。