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「JET・ALTとしての仕事と日本における生活」 |
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掲載:2009年2月 「ケリス先生、あなたの授業の後、 男子生徒が保健室に運ばれたわよ。」。 ![]() これが私の最初の失敗談です。もちろん、学校の内外問わず、失敗談はもっとありますが、そのおかげで学んだことがあります。それは、文化交流を意図してドリアン・キャンディーをあげるかわりに、生徒たちに、強烈なキャンディー袋の臭いを、ちょっとかがせたり、かがせるようにし向けたり、強引にかがせたりすることでした。案の定、それ以降は、誰一人気分が悪くなることはありませんでした。やったね! 実を言うと、これまで私は、日本で働くことや生活することだけではなく、日本語を学ぶことすら考えたことはありませんでしたが、来日前の様々な出来事が、私たち夫婦を日本に導いてくれました。これまでのところ、私たちにとって日本は非常に快適で、感謝の気持ちで溢れています。
日本における生活と仕事 将来のJET参加者の楽しみを奪わないためにも、これまで経験したカルチャーショックについては、ここでは記しません。私は、お祭りに出かけたり、地元の皆さんと交流したり、国際文化交流事業に参加したり、日本語を学んだり、訪れたい場所を調べたり、いろんな種類の日本料理を十分に味わったりなど、とにかく新しい経験が大好きです。その中でも特に忘れられないのは、 ・ 初めての温泉(たくさんの人の前で裸になるのは初めてでしたし、たくさんの裸の女性を見るのも初めてでした。) ・ 初めての凍結した道路上の運転(雪の上で後輪駆動車を操るのは、コンピューター上の架空のカーレースゲームより刺激的です。) ・ 富士山夜間登頂(人々の行列が遠くまで続いたし、とても寒かった!)と数多くの貴重な思い出 個人的には、私の仕事の大部分は「シンガポールの大使」と「文化交流の促進」から構成されているのだと思います。シンガポールの多文化主義を理解するのが難しく、簡単な自己紹介の後ですら、私はマレーシアか中国から来たと思い込んでいる生徒たち(大人でさえも)が何人もいました。なかなか皆さんに理解してもらえなかったので、私はマーライオンの助けを借りて、「マーケリス」を思いつきました。これが生徒や先生に大うけでしたし、より重要なことは、私がシンガポールから来たことを皆さんにようやく分かってもらえました。このことで、頭の中の世界地図にシンガポールをしっかり位置づけてくれればと願わずにはおられません。 ![]() JETプログラムは、多くの人の前に立つ経験や、自分自身をもっと知るための素晴らしい機会を提供してくれましたし、日本の皆さんの不屈の精神も学ぶこともできました。あの大地震で我が家を失った皆さんがすぐに立ち直ったことには、今なお驚きの気持ちで一杯ですし、日本の皆さんの礼儀正しさや、親切さ、素晴らしい接客態度にも敬服せざるを得ません。 私の心の中の日本は、これからもずっと特別な場所であり続けるでしょう。海外旅行先から日本に戻ってくる時には、まるで母国に帰る気持ちになります。JETプログラムに挑戦しようと考えている皆さん、先入観を抱かず、積極的に、そしてユーモアのセンスを失わないでいて下さい。それらさえあれば、きっと楽しい時を過ごせますし、全ての経験から多くのものが得られるでしょう。 |